長患いの憂鬱

乳がん歴22年・再発転移患者の低空飛行なブログです。

緩和ケアに繋がれない。その2 

抗がん剤治療を続けている

患者間でエンドレスケモと呼ばれてるやつ

 

エリブリン・ハーセプチンが効かなくなって

選択肢があと2つになった

 

そのうちの1つ

パクリタキセル・アバスチンを受けることにしたのだが

 

これも効かなくなったら緩和ケアを具体的に考える段階に入りそう

 

私は2001年若年性乳がん時代から長患いの患者だから

いっっっっっっっろんなことを考えた

 

当時

突然乳がんの宣告を受けて

がんがどういう病気か

どんな治療を受けるのか

治らないとき命が尽きるまでどういう治療経過を辿るのか

 

最初は専門的な知識が全くなかったから徹底的に勉強した

 

初期治療全般、化学治療と抗がん剤の種類、女性ホルモンとホルモン療法について、

放射線治療の種類、手術の術式、再建方法の種類、妊孕の問題とか

乳がん学会にも行った

懐かしいな

 

その中で、人生最期の部分を担う緩和ケアは特に患者としてつかみどころがなくて

考えた末、緩和ケアを扱う大学院に行って1年間学術的に研究することにしたのだった

 

患者として仲間であるがん友を失ったり

学問的な観点から緩和ケアを学んだりして

 

 

 

私が緩和ケアに早くから関わりたいと言い続けてきたのは

まず一つに、亡くなっていった同病の仲間と

残ったご家族を

患者の立場てずーーーーっと見てきた経験があるからだ

 

丁寧な緩和ケアとの関わりは

死別後に残された家族の心の傷にも効果があることが多かった

 

学術的な研究の結果も同じことを言っている

 

私が緩和ケアを早く取り入れたい理由は

家族の死別を乗り越えてほしい

この一点に尽きる

 

結果

緩和ケア界隈で推してる「Advanced Care Plannning (ACP)」

あらかじめ早めにいろんなことを準備しておいた方がいいいよ

という考え方がおっしゃる通りすぎて

 

もし自分ががん治療でこの段階に来たら

とにかく早めに準備したいと考えてきた

 

 

ずっと

早期からの緩和ケアを願い出ていたのだが

(2023年5月に一度「緩和ケアに繋がれない」という記事をUPしている)

 

今回も

今の時点で緩和ケアを併用することはできないとはっきり言われた

 

理由は、人手不足

とにかく人手不足なので

今すぐは紹介できないと念を押された

 

ACPじゃなかったんかい

アドバンスド・ケア・プランニングて何よ

私にとってはもうとっくにアドバンスドじゃないんですけど

どーなってんの?

 

がん患者歴25年の間にがん人生を考えてきた

かなり徹底的に考えたのに

ここへきて全然思い通りにいかない

エリブリン・ハーセプチン3回で終了。もう選択肢がほぼないいところまできたらしい。

脳転移のガンマナイフ治療と並行して

抗がん剤治療をエンドレス続けている

 

エリブリン・ハーセプチンを3回受けたが

胸部にあちこちにズキズキ・ドンっと突かれる・ビリビリという

種類の違う痛みが出てきて

その痛みが

痛み止めを飲んだ方がいいのかなと思うぐらい強くなってきた

 

腫瘍マーカーも上昇の一途

 

腫瘍マーカーの数値は増悪の指標に必ずしもならないとのことで

指標から外すかもとい記事をどこかで読んだけど

 

私の場合は、マーカーの数値と体調悪化がわかりやすく比例して起こる

 

痛みがありマーカーも上昇しているのでCTを少し早めに撮ったところ

残念な結果で

肺の多発転移は広がってるし

肝転移も大きくなってた

 

エリブリン・ハーセプチン終了

HER2の分子標的薬が終了になった

 

残りの選択肢は

アバスチン・パクリタキセルとあと2つ

 

主治医的には私が嫌でなければアバパクを勧めたいとのことだった

今まであまり

「お勧めしたいです」

という言い方をしてこなかった人だ

 

まだ体力はある

体重も減っていない

生活もできる

 

アバスチン・パクリタキセルを受けることにした

 

 

脳転移の治療のため、ガンマナイフを受けた。MRIで閉所恐怖症発症。

あらら、今年初の更新!

相変わらず怠け者ブログだなあ

 

お立ち寄りいただいている方がいらっしゃいましたら

明けましておめでとうございます

生きております

 

正直、気持ちが落ちてブログを書く力もなかった

書くことで頭や気持ちを整理できるのはわかるけど

気持ちが沈んでしまうと

書くという作業すら手につかない

そんな心境だった

 

今年は年明け早々脳転移の治療から始まった

 

去年の初夏に見つかった脳転移

 

標準治療が終わった後も

タイケルブ・ゼローダが効いてくれて一度は小さくなったけど

12月に大きくなってしまって

ついにガンマナイフを受けることになった

 

ガンマナイフ装置を持っている病院を紹介してもらって

年始早々一度受診

次の週に照射した

 

照射まえにMRIで病変の確認作業があるのだが

そのMRIでまた閉所恐怖症が出てきてしまった

心臓バクバク

窒息しそうな呼吸

これを乗り越えないとガンマナイフが受けれられない!

 

心穏やかになる音楽を思い出し

脳内再生しているうちに少しだけ呼吸が楽になってきて

なんとかMRI終了

 

その後

ガンマナイフを受けるためのヘッドギアを装着するために処置室に移動して

血圧を測ったら上が169まで上がってた

普段は血圧だけは優等生で120前後だから

バックバクだったんだな

 

麻酔をかけてヘッドギア装着

送迎兼ねてついてきてくれた夫がヘッドギアをつけた私の姿を見て

恐怖で顔が引きつったのがわかった

見ている人も怖かったんだね

 

そこから記憶がない

次に意識が戻った時には頭に包帯ぐるぐる巻きで寝ていた

 

自力で起き上がって着替え

再度診察室で今日の結果を聞いた

 

精悍なスポーツマンという感じで説明が丁寧で

とても良い先生だった

 

転移巣にしっかり照射できたとのこと

 

転移巣は紹介されたときから3週間たったこの日までに

急激に成長して脳にむくみが出ていたそうだ

 

脳転移を見慣れている紹介元の先生も紹介先の先生も

この程度ならまだまだ小さい慌てる必要がないというスタンスだったので

私も気を抜いてしまった

 

しまった

これ、鎖骨下の転移巣と同じ経過

HER2パワフル型だ

 

野生の勘を信じるべきだった

私が強く希望すればもっと小さいうちでも照射できたのに

 

「のに」って後悔しても始まらないってわかってるけど

先手必勝だった

 

ふう

 

じわじわと がんのヤツに侵蝕されてる

悔しい

 

金属のヘッドギア装着でついた傷は少し痛いけど

翌日から普通の生活でいいらしい

麻酔が覚めたら普通に着替えて車に乗って帰宅

 

帰宅後

夫が急に高熱の発熱

 

心配なのはわかるけど判断を完全に間違えてる

 

私もふらつきながら

慌てて家庭内隔離の準備

 

まさかのインフル?コロナ?

体調悪かったの!?なら、なんで病院についてきた!?

と内心怒り爆発

 

翌日、夫は速攻発熱外来へ

 

インフルもコロナも検出されなかった

 

ヘッドギア姿を見てショックが大きかったのかも

 

夫はずっと一人で看病を請け負ってるもんね

心へのストレスも負担も大きいんだと思う

 

ごめん

 

ガンマナイフ治療後は、1週間ぐらい少しふらつきがあったけれど

翌日からほぼ日常生活に復帰し

熱を出して寝込んだ夫の看病にまわることができた

 

抗がん剤よりずっと楽

すごい治療だよー

 

それから3週間後の脳外科の診察で

一応、脳転移が縮小していることを確認

消滅してはいなかった

 

やっぱり

もっとテキパキ動いて

もう少し早く照射すればよかったな

 

 

 

 

 

好中球が最低値を更新した日、脱毛始まる

再発転移の第一選択の抗がん剤を使い切り

効果のほどはやってみないとわからないエビデンス弱めの抗がん剤になって

2種類目

エリブリンとハーセプチン

 

1週目 エリブリン・ハーセプチン

2週目 エリブリン

3週目 休薬

というスケジュールだが、初回を打って翌週の2回目の採血で

好中球が770まで下がっていて休薬になった

翌週再度トライするために投薬前の採血をしたところ

好中球がさらに下がって520

前ケモ前採血の中でも最低値だ

 

 

元々白血球が少ない体質で

この数年は抗がん剤を何種類も使い続けているので

好中球は常に1,000前後しかない

 

白血球が下がっても発熱以外自覚症状がないと言われてるけど

疲労感とだるさが続くから、わかる

 

今週、寝ても休んでも疲労感が抜けなかったから

(白血球増えてない)と思ってはいたけど

520まで下がってるとは・・・

 

で、また休薬

再開するとしても減量して投薬になるけど

そもそも再開できるのだろうか

 

この分じゃ多少好中球が増えても投薬できる数値までは戻らないんじゃないかなあ

白血球減少は対策がなくて増やすのが至難の技

 

さらに今日は通院前にショックなことがあって

朝起きて髪を整えていたら

ガサっと毛が抜けた

 

脱毛!!!!!

そういえは今日で初回投与から14日目だ

脱毛する時には抜け始める日だ

 

どのケモも多少髪に影響がある

 

ドセタキセルで前脱毛して以降、脱毛率の低い抗がん剤に変わって

髪が生えてきたがあまり伸びずずっとベリーショートのままだ

 

その少ない毛がまた抜け始めた

結構抜ける

 

手足の痺れと骨髄抑制が大きく注意書きに書かれてて

口頭でも説明されたけど

脱毛のことは聞いてなかった

 

エリブリンの注意事項でもっと大きくアナウンスしてーーー(怒)

 

初発の時よりも再発転移の脱毛は精神的なダメージがずっと大きい

脱毛を我慢しても治るわけじゃない

 

脱毛は生活に支障もあるし結構メンタルが削られる

 

がんに狡猾で邪悪な意思があるように思えて

こうやってじわじわ追い込まれる感じがするのが本当に腹立たしい

 

 

 

 

 

 

悪化。薬チェンジ。好中球最低値。

再発転移の抗がん剤治療の標準治療で推奨されていた薬剤が

エンハーツで終了したのは今年2023年の5月

肺転移が広がって脳転移も見つかった

 

エンハーツ後は、もう効くか効かないか

その効果のほどはやってみないとわからないけど

選択肢があって体力もあるうちは抗がん剤を続けるというのが私の意志なので

2種の薬にトライした

・ゼローダ(カペシタビン)

・タイケルブ(ラパチニブ)

運よく効果が出て肺転移も脳転移も縮小し疼痛も減って、

有名な副作用の手足症候群も軽めで済んで

精神的にも気持ちが軽かった

 

先月、再び腫瘍マーカーが上昇

胸部のあちこちに痛みを感じて悪化している自覚症状があったから覚悟してた

 

定期のCTの結果、肺転移増悪だけでなく、

しばらく落ち着いていた肝転移も大きくなっていた

 

こうなると小さくなっていた脳転移も今どうなっているか怪しい

 

薬の効果が切れた

半年間頑張ってくれたゼローダ&タイケルブ

ありがとね

 

で、次の治療をどうするか

 

体調次第では抗がん剤を終了する患者さんもいる段階らしいのだが

私はまだ痩せてきてもいなくて

外見だけ見たらステージ4で抗がん剤が尽きそうな患者とは思われない

 

体力が残っているけれど薬剤が尽きてしまう状態なのだ

 

コンディション的に抗がん剤治療に耐えられるレベルということで

主治医と相談して抗がん剤をまた試すことにした

・ハラヴェン(エリブリン)

ハーセプチン(再)(トラスツズマブ)

今度は点滴なので、病院の日帰り抗がん剤治療室に出戻りになった

 

1回目はすでに投薬済み

 

投薬後すぐに胸部の疼痛が消えた

どの程度の効果が出ているか肝臓にも効いてるのか

CTを見ないとわからないけれど

少なくとも胸部の痛み止めの効果は出てる模様

 

2週連続投薬・1週休薬というスケジュールなので

2週目に採血したところ

好中球が770まで下がって個人最低記録を更新

 

休薬になった

 

今度の薬はどのくらい効いてくれるだろう

こんなに好中球が急減して続けられるかな?

ある程度の効果を期待できると思われる薬の選択肢が

もう本当に無くなりそうなところにきてしまった

 

今年は年を越せそうだけど

来年はどうなっているだろう

桜は見られる?

どのくらい時間が残されてる?

バンタン(BTS)の再結成を見るのは無理かなあ

 

副作用に耐えながらなんとか踏み堪えても

細胞が変異を続けて痛みが増えて体力が奪われてメンタルも削られる

ほんっっと嫌な病気!!!

 

SNS時代のがん患者ライフ(人生と生活)2

SNS

昔はなかった文明の利器

便利ではあるけど

その特徴として情報がどんどん更新され流れていく点がある

 

Xのポストを眺めていると

同じお悩みや質問が幾度となく繰り返されている

 

ウィッグはどんなものがいいのかとか

副作用で髪がどんな感じで抜けるのかとか

 

誰かが質問して

時に正しい情報を答える人がいるかと思うと

時に誤情報を出す人もちらほら

 

20数年前、患者会から発足した法人が

がん患者の生活をサポートするありとあらゆる情報をまとめて

本にして出版した

 

抗がん剤の種類と副作用の違いとか

抗がん剤の副作用による脱毛の原因とか

ウィッグの特徴と選び方とか

帽子、付け毛の便利グッズとか

爪のお手入れ方法とかメイクのコツとか

パッドの種類とか保険のこととか

リンパ浮腫蜂窩織炎とかその対応とか

全部載ってる

 

この本は今も手元にあって

今でもそのまま役にたつ情報が多くて便利

現代風ではないのかもしれないけど

本という形式でまとまってるのが個人的に良い

 

時が20数年進んでどうなったかというと

 

心の問題は心理系の団体

下着やパッド爪やメイクのことはアピアランス学会という学会

ウィッグは各ウィグメーカー

保険は保険会社、等

 

専門にかれてしまい情報が分散して

ワンストップで生活支援につながることができなくなった

 

便利になったのか不便になったのか

よくわからん

 

けど

今の方が患者置いてけぼり感がある

具合悪いのにあちこちに情報取りに行く元気ないもん

SNS時代のがん患者ライフ(生活と人生)1

20数年前の乳がん初発の時と再発した今とで決定的に変わったこと

一番大きいのはSNSの有無

 

20数年前もネットでがん情報を得ることができたし

患者同士でネット経由で情報交換もできたが

それはパソコンの掲示板やmixi(知らない人もいるかも)を使ってのことだった

 

ネット通販で患者の治療生活に必要な物品を購入することが

できるようになり始めたのもこの頃

 

患者同士の交流は

リアルに対面する患者会が主流だったけど

直接対面することなくインターネット上でやり取りして友達になる

ネット世代の患者どうしのつながりが増え始めて

闘病記をブログに綴る人も出てきた時期だった

 

その後

世界はスマホを使ったSNS時代になり

 

初発から17年後の2017年の暮れに再発して乳がん界に戻ってみたら

がん患者界隈も当然SNSワールドになっていた

患者会とか患者コミュニティというくくりとも違う

気の合うがん患者属性のX(言いにくいなあ・旧ツイッター)仲間とでも言おうか

 

Xで多くの患者さんが

自身が日々の病状や心や体の痛みや苦しさや生活の喜怒哀楽をつぶやいている

 

朗々と意見を言う訳ではなく

つぶやき、声にならない心の声、まさにつぶやき=ツイートで

誰かが悲しんだり苦しんだりしていると誰かが声をかけてくれる

 

患者同士でつながって仲間同士で支え合っている人も沢山いる

患者同士だからわかることもあるのだ

 

Xでは進行がんの患者さんが時間とともに弱っていく声も気持ちも

リアルタイムで可視化されている

終末期まで直接声を届ける方もいて

やがて

人生の幕が降りると直後にそのアカウントからご家族やネット仲間が

亡くなったことを報告し

フォロワーさんで追悼する

そこでアカウントが終了することもあるし

ご家族がアカウントを引き継ぐケースもある

 

ご家族がアカウントを引き継ぎ

故人を介したSNS仲間と繋がることで

残された方々のグリーフケアになっているケースを見ていると

とても現代(いま)だなあと感じる

 

私はというと

私もXを使っている

がん情報をリアルタイムで拾うつもりでアカウントを作った

 

再発転移の乳がん患者になって変わったことは

患者仲間を積極的には作ろうとしていないことだ

 

もちろん、声をかけていただくと嬉しいので

レスを頂戴した時には速攻でお返事してるけど

 

初発の時のように患者会などで積極的に患者仲間と

つながったり会ったりはしていない

 

初発から再発まで長い時間生きている間に

再発転移したがん仲間を多く失ってきた

 

「あなたは長生きしなさい」と言い残して仲間がいなくなっていくのが

ずっとつらくて悲しかった

 

同病で友達になった人の中で再発してしまった人が私以外全員いなくなって

生き残っているのは自分だけだと知った時、心がしぼんでいくのがわかった

 

そして今は私もこの世界から消えていくレールの上に乗っている

仲間を増やすといつかまたつらい目に遭うと思うと

積極的に関われなくなった

 

これ以上の心の重しを増やしたくない

 

こんな気持ちの流れから

Xに限らずがん仲間のつながりを積極的に増やそうと思わなくなった

 

Xのアカウントは人生の終わりが近くなったら閉じるつもり

 

脳転移がどう悪化していくのか想像がつかないけど

判断力がある段階で閉じないとね

 

SNS以外にもあるネットのお買い物アカウントとか色々

どうしよう???

 

いくつか削除してみた後でまた新たなアカウントが必要になったり

いつ整理すべきか本当に悩みどころ

 

立つ鳥跡を濁さず、が理想で家族に極力迷惑をかけたくないけど

多分できないだろうなー